気が付けば、静けさの森


会場内を散策しているとき、ふと、周囲の植物の密度が顕著に高まってきたことに気づいた。どうやら、静けさの森に足を踏み入れたらしい。まさにその名に相応しく、静かにその存在を浮かび上がらせていったような形だ。

いつの間にか、何かに飲み込まれていることがある。その瞬間、その前後でも、もし気が付けていれば、などと思い返すような経験である。悪い経験の場合、少なくとも気が付くことで避けることができるのであれば、気が付けているに越したことはないかもしれない。では良い経験だったらどうだろうか。良い経験の始まりや終わりを認識できるようになるとしたら、それは望ましいことだろうか。

現実問題として、今の科学はそんなレベルに進んでいないだろう。しかし仮に未来人がやってきてそれが可能になる装置を私にくれるとしても、その時点からすべてが茶番に見えてきて、嫌になる気がする。

しかし、当時はそこまで感じていなかったが、振り返ってみるとすごく楽しい時期だった、ということは確かにある。そういう経験が積み重なっていくと、今を大事にしようという気持ちが強くなる。今を大事にして、楽しいことをしっかり噛み締めて、後々の自分が「十二分に楽しんだ」と振り返れるようにしてあげようということだ。しかし、未来の自分を軸にして今を生きることは、目の前で起きていることをないがしろにしているみたいで、私はあまり好まない。

「こうするのが長い目で見て一番良い」という考えが頭をよぎっても、そうしない理由はそこにあるのである。


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